モンローもいいけど、やはりモナ・リザ・・・天下一品の模写だと!

モナリザ・吉野美術館

これは模写です。でも何が凄い、元東京芸術大学の教授によると「この絵は100年以上前、ヨーロッパにあった頃にも修復されたようです」。凄いでしょ、修復には大きなお金と時間が掛かります、そうしてまで修復されたこのモナ・リザ、私は凄いと思います。

祖父吉野正孝が1935年日本代表でパリを訪れた際、購入し父に渡り私の元に、祖父のモナリザへの執着は物凄く肌身離さず自宅に保管していたこともあり化粧直しが必要になり修復の第一人者木島教授にお願いし蘇りました。現在私共での保管に自信が持てない為(現在は某芸術大学にお預かり頂いている)ご購入頂きますコレクターをお探ししています。模写ですのでダビンチが描いたモナリザではありませんが19世紀中ごろ相当の画家が描いたものであろうという芸大元教授木島先生の見立てです。

販売も検討中です、開始価格5億円、販売とは別に文化価値の高いものを子供達に見せ感性を豊かにする目的での教育機関への貸し出しや催事などへの貸し出しも検討中です、お問合せ下さい。教育機関貸し出しは保険料のご負担を、デパートの催事などは保険料プラス貸出料の相談をさせていただきます。 

詳細「油彩 モナリザ」
保存修復油絵研究室にて修復、現在某芸術大学に保管中。画家、作家としても国内外でご活躍の木島先生は2022年11月にも銀座の画廊にて個展を開かれておられ私も拝見しました。
77×53㎝ 吉野正孝1935年パリにて入手。
ダ・ヴインチのモナリザは1503~1519年頃描かれましたが、この「油彩モナリザ」はキャンパスを調査した結果、19世紀(西暦1801~1900年)中頃に描かれたものと思われます。作者については不明ですが相当な画家が描いたもので素晴らしい作品との検証を頂いております。

サプライズ「絵画の価格設定」

私は祖父と同じ芸術畑ですが美術ではなく音楽、絵画には興味はありませんでしたが祖父から引き継いだ本件で少し調べてみました。ルーブルにある「モナ・リザ」売る訳も買う事もあり得ませんがもし価格を設定すると日本円にして800億円位だろうと言われています。そして近代絵画マリリンモンローですら落札予想額250億円、芸術が芸術らしい評価されるようになり素晴らしいと思います。そして新たな芸術への評価の高まりも見逃す訳には行きません、それは模写、転写の世界、本物の価格には足元にも及びませんが4億5億円の価格が付き始めています。私の音楽で分かり易く言うと「美空ひばりの曲を石川さゆりが歌うようなもの」同じ音符を追ってもそれぞれの魅力が出ますね。私はルーブルでダビンチのモナ・リザを見た事はありませんが、もしかしたら祖父が持ち帰ったこのモナ・リザの方が好きかも知れません。どうか大切になさって下さる方、宜しくお願いいたします。

祖母のつぶやき「売ればいいのに」

祖父は私が幼い頃、私達が暮らす関東に佐世保の官舎から公務を終え引っ越して来ました。祖父は長崎の宮司の息子ですのでとりあえず居とした埼玉の公団で不満はなく佐世保の家にあった応接間や書斎は要らない、大学に行けば学長室もあるしとのんきでしたが、祖母は生まれは五島の太田家の姫、マッチ箱のような家に住んだことはなく・・・祖父の絵の噂を聞きつけたフランスや国内の収集家から大きいビルが買えるほどの価格を提示された時、祖母は売っちゃいなさいよ!。祖父は断固として「自分の生きてるうちは絶対手放さないと」で!旅立ちは団地、私もその話を聞いた時は、売っててくれれば家賃収入で毎日ヨットで悠々と<笑>

祖父 吉野正孝 1902生まれ、現長崎大学、現東京芸術大学卒。ベルギー開催第七回国際美術教育会議に日本代表として派遣される。文部省並びに東京府の委託により欧米の教育を調査視察。帝国工芸美術学校長、現山梨大学教授、佐世保市海軍部長、佐世保市高等工芸学校長、淑徳大学教授など歴任。

絵画・軍艦吉野美術館

これは模写ではありません。

私は軍艦島で産まれた後、父が東京へ転勤、修学中だった私は学業に影響するという理由で佐世保の祖父の家に1人、東京の生活が落ち着くまでという事で預けられました。毎日のように要人が挨拶に訪れ、その都度私は孫として挨拶をさせられました。祖父の家はとても大きな家で(官舎ですが)玄関だけでも6畳ほどの広さがありました。その玄関に飾ってあったのがこの絵です、暗くも見えますが力強くも見え私の寂しさに勇気を与えてくれた絵でした。祖父にあの絵だけは下さいと何度もお願いしましたが他界してやっと私の元に届きました。絵は独り占めしてはいけない、絵は生き物だから環境の良い保存をしなくてはならない。前述のモナ・リザと同様、きちんと保管できる方にお譲りしたいと思います。価格は検討中ですが1千万円以内でお渡しできるようにしたいと思っております。戦争は嫌いだが軍艦の姿は素晴らしい・・・そんな方が居られましたらお手をお挙げ下さい。

この絵の作者 小早川 篤四郎画伯・・・広島市に生まれる。大正4(1915)年頃上京し、本郷絵画研究所で岡田三郎助に師事。同14(1925)年第6回帝展に初入選、翌15(1926)年には牧野虎雄、田辺至、斎藤与里らとともに槐樹社結成に参加、会友として活躍。昭和7(1932)年東光会が結成され、以来会友として参加。同10年には会員となる。同20(1945)年東京より岡山県津山市に転居、津山洋画研究所において後進の指導にあたる。昭和12年、海軍従軍画家として上海に赴いている。戦争美術関係の展覧会では、昭和18年の国民総力決戦美術展、昭和19年の陸軍美術展(第2回)に出品しており、昭和14年の第1回聖戦美術展、昭和16年の第2回聖戦美術展、昭和18年の第2回大東亜戦争美術展に出品している。また、昭和13年の第2回海洋美術展、昭和14年の第3回海洋美術展、昭和16年の第5回海洋美術展、昭和18年の第7回海洋美術展に出品している。昭和19年の戦時特別文展での陸軍省海軍省特別出品にも加わっている。

切手・吉野美術館

切手収集を趣味にしている方も沢山おられますね、こんな切手面白いでしょ、珍しいでしょ!

この絵も非売品です。。。私は28歳でファンの集うメンバーズクラブ左京をドラマーの弟と立ち上げ50歳まで運営致しました。ステージにはハモンドオルガン、ドラムス、グランドピアノ、アンプ類、の後ろでジッと永年見守ってくれたのがこの誰もが知ってるこの名画、開店祝いに知り合いの税理士グループがくれた絵です、今は自宅に保管しています。この娘とは毎日のように話をしました、今日も綺麗だね、寒くないかい?等とね!絵って生きてるんですね。新たにオフィスを作った時、私の部屋に住んでもらいます。

私の芸術論・・・祖父は美術、私は音楽の世界で生きて参りました、表現するという意味では同じ感性かと思っています。絵を見るとメロディーがわいてきます。コレクターでも画商でもない私は祖父から譲り受けた美術品が今後も幸せな絵生を過ごしてもらうことばかり考えています。特に当方のモナ・リザは戦争も体験しておりますので。

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